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ダライラマ法王

嫁さんがダライラマ法王の大阪特別講演に行ってきたとの事で、少し話を聞いた。


命あるもの全て、私も他人も、

世俗的レベルでは「存在する」が、

本質的レベルには「存在しない」。



この時点で、よくわからない。


ダライラマは、この何もない「空(くう)」について毎日瞑想しているそうだ。


「私」とは何か?

私が「自分」と考える「自分」はどこにいるのか?

「手」なのか?「足」なのか?「心臓」なのか?

「自分」を指でさしてみる。


しかし、

その指でさした部分を、細かく切り刻んでみた所で「自分」の実在がでてくるわけがない。




という。




難しい。


これは自分も他人も同じ。
命あるものすべてに共通する。



例えば嫌いな人がいて。

その人も同じ。


世俗的レベルでは「存在する」が、

本質的レベルには「存在しない」。


だから、「嫌いな人」として実存するのではない。





自分にとっては嫌いな人でも 他者にとってはとても良い人かもしれない。


だから、その人の存在は「嫌いな人」としての存在ではない。


もしそうなのであれば、その人は地球上のすべての人から嫌われている存在でなければならない。



「嫌い」という感情にとらわれているだけ。



「嫌いな人」というのは、実存しない。





こういう考えが、世界平和に繋がる。

これからの時代に必要なのは、人間ひとりひとりが平和のココロをもつことだ、と

おっしゃっていたそうだ。





難しい。
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[ 2011/10/31 22:21 ] | TB(0) | CM(0)

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